裕福な環境と美しい母親と婚約者に恵まれ、小説家としての成功をも得た主人公。ある日、異母姉と称する難民(?)の女と出会い、彼女の中に今の未熟な自分が観ることの出来ない「真実」を見いだす。すべてを捨てて女と旅立つ彼だが、二人は破滅の道を転がり落ちてゆく。
というお話。
なんなんだろうねこのおぼっちゃんは。
甘いママと奇麗な婚約者のいる光の世界にずっと居ればよかったのだ。
何自分探ししてんの。そら従兄弟の子も呆れるわー。
と、常識的な所では思うんですが、まずいタイミングで会っちゃったんだろうね。と思います。そういう意味では運命かもしれませんよ。
近代思想の発祥の地としてなのか、フランスの物語は自分探しに悩む主人公が多いです。
女の腹の底の暗い部分が、その婚約者にも、姉と称する女にも両方出てて怖かったです。
このように、一人の男を追い詰めていくというか、引きずり落すというか、釣られて墜ちて来る人と一緒に墜ちる度胸もなければ共感も出来ないですが(察するけど)、この映画は一つの境地というかんじです。
長いけれど飽きずに観られたのは、画面の乾いた緊張感のせいでしょうか。森や雨上がりの道路など湿度の高い風景がたくさん出て来るのに、なぜかイメージは乾いた情緒が薄い画面。ベッドシーンのざらっとした砂を噛むような感じが印象にあるせいかな...
原作は未読ですが、書かれた時代は信仰に限界を感じてる時代かな。
主人公が小説家(クリエイター=神)だということにも意味があるんでは。というか小説家じゃなかったらこんな道に行ったかどうかという気がするのは、創造を志す者、芸術家の奢りを(悪い意味だけではなく)感じるからか...。ただ映画はそこに重点を置いてはないけど。
お話の中に、楽園を捨てた主人公を救う神はいないし、運命を超越しようとした(自分を見つけようとした)主人公の悲劇が、何かが動いていく時代の意図があったのかなと思いました。
冒頭にバカなやつとか書きましたが、なんというか残酷だ。
この主人公の救われなさは、ある種の「成長」なのかもしれないけれど。
あと映画中盤以降で、ノイバウテンのさらにロック版みたいな廃墟バンドがいい演奏聴かせてくれます。「半分人間」みたいです。
あとカトリーヌ・ドヌーヴがいくつになってもセクシーで綺麗です。好演。
