
- ブラック・メタルの血塗られた歴史 (Garageland Jam Books)
- 島田 陽子
- メディア総合研究所 2009-01-13
映画「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」と、「パイレーツ・ロック」とこの秋の2大ロック映画(マイケルのもありましたけど、あれはファン向けのような感じ)を観たので、それの感想を書こうと思いましたが...古いテキストから表題の本の不吉な感想文が発掘されたので、それについて書こうと思います。
原著は、ノルウェーのインサイダーさんと、アメリカのジャーナリストさんの共著で、1996年に発行されたもの。今年のお正月に日本語版がなんと476ページの大ボリュームで発行されました。
私も読み終わったのは2月末頃なので、古いレビューになりますが、こちらに記しておきます。↓
西洋哲学のどんづまり、20世紀の思想の亡霊としてのブラックメタル
とにかく大著で、90年代に起きたノルウェーのブラックメタルシーンのミュージシャンやファンたちの間で起きた凶悪事件に色々な背景から迫った、詳細なジャーナリズム本です。
バーズムのカウント・グリシュナックことヴァーグ・ヴァイカーネスのやらかした足跡とその思想には大きくページが割かれており、その逝かれパラノイアぶりには開いた口がふさがらないけど、やはりどうしても感じるのはクリスチャンの素地がないとわかんないとこあるよなーということです。
ヴァイカーネスが刑務所に入ってからその「思想」を深めていく様子は、閉ざされた空間で、狂気の選民思想へまっしぐらでコワい。
獄中で頭をそり上げてネオナチになったり、宇宙人の子孫を名乗ったりと、カウントの魂の放浪はまだ続く...極端な右翼保守。そして強烈な権威主義、選民思想。
他のバンドでは、サタニズムの中に、神の世界、つまり社会から逸脱して超個人になる(=自分自身が自分自身の神になる)ことの可能性を見出すウルヴェルというバンドのメンバーや、有名な Emperorのイーサーンなどは、サタニストとして覚悟を決めて生きてるといったたたずまいで、色々な意味で十字架を背負ってるというかんじがする。
そこに立ち現れるのが、彼らが生まれたノルウェーという国の社会のあり方。
この本では、サタニズム、アンチキリスト、すなわちキリスト教圏における「社会・反社会」についてブラックメタル外部のオカルティストやクリスチャンの研究家からの論やインタビューがあり、そこが白眉って感じです。
先のウルヴェルやイーサーンの話どおり、隣人愛という他人との連携を重んじるキリスト教に対し、サタニズムとは神の支配を逃れ個人主義を極めるものであるという論は圧巻。
ブラックメタルも西洋哲学の流れに落とし込める存在というか。現代によみがえったニーチェの超人思想の亡霊というか。
また、一連の事件の種をまいたのはサタニズムが絡む事件をセンセーショナルに喧伝したマスコミではないかという説も読み応えがあり、トドメに、悪魔教会の太祖アントン・ラヴェイのインタビューも入ってたり。すげえな...
欧米に拡がったサタニズム少年犯罪についての章はやはり読むのがきつい。
ブラックメタルについては、最初のバンドはみんなシャレだったがノルウェー人だけはガチ、リアルなのはノルウェー人だけ、というのは言われることですが、そのノルウェーにおいて凶悪犯罪が起きなくなった頃には、それを真に受けた世代が世界中でさらに右傾化し、もっと大それたことをやるようになってしまった。
ブラックメタラーの初期衝動には共感もあるものの、北欧の伝統的なものがキリスト教から受けた疵や、あるいは弱い自分自身の疵を「すべてなかったことにして」、あるいは「敵と見なして」、ルーツ回帰と称し無理に原初に戻ろうとするのはどうか、とは思いました。
だって彼らの住む現代は、その疵をうけたままここまで来てしまった時代なのだもの。
そして、文化に優劣をつけることで、彼らは、かなりの権威主義になっている。それは空虚で破壊的なものだ。彼らの心や価値観を破壊しようとした、既存の権威と変わりはしない。これも既存の社会の陰画なのだ。
自分と社会とのあつれきというのも、教会を燃やして破壊するようなものではなく、自分で背負わなくちゃいけないわけで、そういう意味でイーサーンは、ブラックメタラーだからではなくて、サタニストとして自分の人生を覚悟した一人の人間だからこそかっこいい。
でもそれはしんどい、大変な人生だ。これが真の極道というやつでしょうか。みちをきわむと読め!
あとは、ブラックメタルバンドの一部は、古代民族宗教の復古運動(曰く「ペイガニズム」汎神教ととっていいのかな)としても割と真面目に評価されてるっていうのはいいことだと思った。
ヨーロッパに残るナチズムの呪いにもがっつり影響を受けているけど、アカデミックな世界が、ルネッサンスとして前向きにマジメに考えてるってことでしょうか。
ブラックメタルは、サム・ダン監督が、メタル人類学を標榜しつつ避けて通ってる感じがして、これを研究せずではあかんやろ、と思ってたけど、このとおり一映画のワンシーンでは語りきれないものだということは感じました。まず音楽シーンという側面では、イメージ的なものや、単なるきっかけより先に対しては殆ど説明ができない。
とりあえず現代のヨーロッパの右傾化とか、社会問題として、そこに深く根付く思想の系譜のどんづまりのケースとして、すごく読み応えがありました。
写真も多いですがちょっとグロもありますよ...その筋には有名な写真のようですけど。
ところで、日本のブラックメタルバンドって何を歌うべきなのかしら?とかつらつら考えてみましたがかなり別の話になった。
オリジナルの精神文化を取り戻したいというならギリギリでも江戸時代初期に戻らんとなとか。
古くからの精神文化の断絶というなら、反明治政府、反GHQ、反自民党(民主政権もまたしかり)を歌うなら筋はとおりそうだけど、もはや日本のポップバンドの主張には相当なりづらい。
じゃあ、東京のバンドなら平将門とかテーマにして歌ったらどうかしらね。恨みの生首になる反乱軍の大将ですし。ドイツのファンタジックなメタルバンド的なノリで。こういう講談っぽいのはGHQに禁止されたんだろうね。
平和裏にいくなら、やはり沖縄歌謡とか鼓童など、ルーツ系とポピュラーのミクスチャやってるような人たちかな。
ロックでは、人間椅子とか歌舞伎ロックスなんかは結構ありだったんじゃないかと思います。ブラックメタルとはまったく関係ないけど。
そんなわけで現代日本の忘れられた疵といったものもある。それを意識すると色々やばい。
そんな疵を負った断絶状態から、神話創出的に生まれてきたものが今あるものなわけで、日本でいえば一部のオタク文化とか?一部のギャル文化とか?それはそれでまた命のあるものですが。
うーん連想ゲームのような感想文でした...サブカルチャーの極みってすごいよねー。
